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INTERVIEW

​インタビュー

卒業生インタビュー 

中田彩郁 第一期卒業生

Ayaka Nakata The first graduates

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アニメーションの個人制作と集団制作を共に手掛けながら、さらに絵本作家、そして母校である造形大の講師も務める注目のマルチ・クリエイター、中田彩郁。アニメーション専攻領域課程の第一期生として世に羽ばたいた彼女の軌跡を、御自身にズバリうかがってみた。(インタビュアー・霜月たかなか 2021年2月13日)

──中田さんはアニメーション作家として活躍されるほか、昨年は初の絵本「むしとりあそび」(注1)も出されました。絵を描くことが好きで、それでアニメも作るようになったということですか?

絵のほうは中学のころはコミックやアニメ調のキャラクターなどを描いていたと思うんですけど、アニメーションを作ることにはあまり関心がなかったんです。高校では合唱部に入っていましたし。一方で絵本への興味がすごく高くなって、エロール・ル・カイン(注2)やガブリエル・バンサン(注3)の絵本にずっと前から惹かれていたので、漠然と「絵本作家になりたい」みたいな気持ちがあったんですね。それもあって高校の近くにあった美大の予備校に通うようになりましたが、将来的にどういう仕事に就きたいとかは、まだ具体的に考えていませんでした。

注1: 「むしとりあそび」は月刊予約・科学絵本「かがくのとも」2020年4月号(通巻613号)として福音館書店から発行された昆虫採集の絵本で、絵を中田彩郁が初めて担当した。文は井上大成。

注2: エロール・ル・カイン(1941~1989年)はシンガポールの絵本作家、イラストレーター。ケイト・グリーナウェイ賞を受賞した「ハイワサのちいさかったころは」など多くの絵本を世に出したが、47歳で早逝した。

注3: ガブリエル・バンサン(1928~2000年)はベルギーの絵本作家。代表作「くまのアーネストおじさん」シリーズで広く知られ、中田彩郁は絵だけで文字のない彼の絵本「マリオネット」に強く惹かれたという。

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『むしとりあそび』(福音館書店「かがくのとも」2020年4月号)

──でも美大の予備校ということは、それで美大を受験されたということですね?

それが、デザイン科のある美大をひととおり受けたんですけど、一浪しちゃって(笑)。でもその間に、造形大学にアニメーション専攻課程が新設されたんですね。そしたら予備校の先生が、「絵本に興味があるなら、アニメーションもありなんじゃない?」と勧めてくれて。それで次の受験の時に、造形大も受けることにしたんです。

──翌年に美大に再チャレンジされて、その結果は?

いえ結局のところ、運命的に造形大だけしか受からなくって。だから本当に「拾っていただいたんだ」という、感謝の気持ちしかないですね(笑)。それでアニメーションについても、入学時点では「絵本みたいな絵でアニメーションを描けばいいんだ」くらいにしか考えてなくて。知識もディズニーとかジブリとか、テレビで放映された程度の作品しか知らなかったんです。

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─アニメーションを意識したのは、大学に入ってからということですね。

そうです。入学してから好きな作家や作品を探し始めたみたいな感じで、作家で明らかに影響を受けたのはユーリ・ノルシュテイン監督と山村浩二(注4)監督。その後で知ったジョルジュ・シュヴィツゲベル (注5)監督も、大好きになりました。作品では「ある一日のはじまり」(注6)を授業で見て、すごく衝撃を受けましたね。それから畑は違いますけど、アーティストのスタシス・エイドリゲヴィチウス(注7)も好きなんです。私が初めて作ったアニメーション作品「舌打ち鳥が鳴いた日」(2004年)では、わりと自然にああいう(パステル画的な)絵を描いたんですけど、今から思うと「彼の影響を受けてたのかな?」と思いますし。風刺的な視点でグサッとくるような、彼の作風に惹かれていたと思うんですね。それに「舌打ち鳥~」がパステルで擦ったような絵になっているのは、私が「輪郭線をどう捉えるか」みたいなことをすごく気にしていた時期でもあったからなんです。描く時に「アウトラインを引いて色を塗る」みたいな工程に、すごく抵抗感があったものですから。でも今となっては作品ごとに絵も変わりますし、仕上げ方もいろいろ変わったりするんですけど。卒業制作の「聞耳(ききみみ) 第二幕 鏡」(2007年)の時なんかは、動きのブレをすごく考えながら絵を描いていましたね。

注4: 山村浩二(1964年~)は世界的に知られる短編アニメーション作家、絵本作家。「頭山」「カフカ 田舎者」など多くの賞に輝く作品をいくつも発表し、世界の4大アニメーション映画祭全部でグランプリを獲得している。

注5: ジョルジュ・シュビッツゲベル(1944年~)はスイスのアニメーション作家。1974年の「イカルスの飛翔」で世界的に注目され、「78回転」(1985年)や「ロマンス」(2011年)などの独特な作品を発表している。

注6:「ある一日の始まり」(1999年)はアマンダ・フォービスとウェンディー・ティルビーの監督による、カナダの短編アニメーション。擬人化された動物たちによる、街中のさりげない生活風景が描かれている。

注7: スタシス・エイドリゲヴィチウス(1949年~)はポーランドの国際的なマルチ・アーティストで、日本でも絵本やポスターなどが多く紹介されている。最近では2019年に、武蔵野美術大学美術館で展示会が行われた。

 

──造形大での、学生どうしのキャンパスライフについてはどうでしたか?

あまり楽しんではいなかったかも(笑)。第一期生はみんなバラバラで、一緒に遊んだりする機会がほとんどなかったんです。ただ「舌打ち鳥~」を共同制作した同期生たちとはその後もずっと仲が良くて、そういう大学での繋がりはありましたね。むしろ二期生が学年全体で仲がいいような印象があったので、「この子たちはぜんぜん違う人種だ」と思ったりもしたんですけど(笑)。私は大学の芸術祭への参加もぜんぜん積極的じゃなかったから、そういう時は家で自分の作品を作ってました。だってアニメーションって、作るのにとても時間がかかるじゃないですか(笑)。ただ今思うと、もったいなかったとも思うんですよね。

授業のほうは、アニメーション専攻でちゃんと課題を提出できる学生はクラスの1/3くらいだったと思うんですけど、このインタビューを前に受けたキューライスさんなんかは、作品を作って映画祭に出品したりすることを当然のようにやってましたね。そういう同級生の影響や、先生からも勧められたりして、私も課題をブラッシュアップして映画祭に出すようになったんです。それでも「聞耳 第二幕 鏡」だけは長い構想のごく一部しか作れなかったものだから、どの映画祭にも応募することはなかったですね。あの時は「私は卒業してからこれを完成させるから、今は発表しない」みたいに、頑なになってしまって…。なので、卒業して就職した後も何年も作り続けてたんですけど、未完のまま終わっています。今では古川タクさんのような先生方から「印象に残る作品」と言っていただいたりするんですけど、「あれは未完成だけど」とも言われてしまって(笑)。

──卒業後どういう仕事に就くかについては、在学中から考えていたんでしょうか?

大学でNFB(注8)の作品とか、いろいろな海外のアニメーションを見て惹かれるようになったものですから、最初は卒業後に「アニメーション作家を個人でやろう」って思ったんです。造形大に入る前年に山村浩二監督の「頭山」(2002年)がアカデミー賞短編アニメーション部門にノミネートされましたから、そのことも関係していると思います。「これがアニメーション作家の生き方なんだ」って、憧れたんだと思うんですよ。そういう生き方を信じられたっていうか…。しかも大学の講評会に御本人がいらっしゃった時に、私の出した「舌打ち鳥~」が「すごくよかった」っておっしゃってくださいましたし。それがきっかけで山村監督には、作品を作るたび見ていただいたり、さらにアルバイトもさせていただいたりして、いろいろお世話になりました。アルバイトは「カフカ 田舎医者」(2007年)の仕上げの手伝いということで、色鉛筆のタッチをたくさん、動画に描き足させていただいたんです。おかげでタッチを入れながら動画を一枚一枚見ることができましたから、「こんなふうに描かれてるんだな」とか、監督の作業姿を見て「こんなにコツコツやってらっしゃるんだ」と、いろいろ学べる機会になりました。当時の私にはアニメーションに関してのコンプレックスがたくさんあって、それは「自分に才能がないからじゃないか」みたいに思っていたんですが、そういう環境の中で「未熟な自分が大変がってる場合じゃない」と思えるようになったんです。そんな大学生活の中で、卒業した後に「どこかのスタジオに入って」っていうのは、最初のころはあまり選択肢に入っていませんでしたね。ところが私は第一期生で、先輩もいなかったものだから、じゃあ実際に個人作家としてどう生活していくのかっていうことがわからなかったんです。それで「広告だったら、いろんな絵柄でアニメーション作れるんじゃないか」と思い直して、CMを中心に手掛けるアニメーション制作会社に就職することになったんですね。

注8: NFB(National Film Board of Canada)は1939年に設立されたカナダの国営映画スタジオで、短編アニメーションとドキュメンタリーの制作で国際的に知られている。「ある一日の始まり」もNFBの生んだ傑作の一つ。

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──2007年に、アニメーションスタッフルームに入社されていますね。

就職しても作品を作り続けることを前提に会社に入りましたから、アニメーションスタッフルームでも仕事と並行して「コルネリス」(2008年)という作品を最初に作りました。そのころ私はコンテンポラリー・ダンスやパントマイムに惹かれていたので、そういう身体の動きの抽象性みたいなものを表現したいと思ったんです。

またアニメーションスタッフルームにはいろいろな専門分野の人たちがいて、その後作る「ヨナルレ Moment to Moment」(2011年)の共同監督となったサキタニユウキともそこで出会いました。彼はコンポジット(=映像合成)の専門家だったんで、得意分野や考え方がまったく違うのがかえってよかったと思うんですよ。だから自分たちのアニメーションを作る時は私が絵を描いて、彼がペイントとコンポジット、そして演出は共同という制作スタイルが自然とできた。おかげで仕事が忙しい中でも作品をコツコツ作り続けられましたし、今でもずっと作り続けていられてるというのがありますね。

会社の仕事のほうでもフランスの絵本をアニメ化したテレビシリーズ、「リタとナントカ」の一話分を二人で担当することになりました。造形大で教鞭を取られていたこづつみPON(=小堤一明・注9)先生がそのシリーズの監督だったものですから、「一話丸々、個人作家に任せてみる」という試みをされた時に、私にも声を掛けてくださったんです。私にとっても初めてのテレビシリーズでしたし、最終的には一話の演出・絵コンテと原画と動画、それに背景まで全部私が描きましたから、なかなかドキドキしましたね。おかげで普段、会社でやる以外の工程も自分でできることがわかりましたし、ここで得た作画の発想を、並行して作っていた「ヨナルレ」にも投入することができたんです。自分の好きな時間の感覚を表現できたというか、「街の中で、いろんな所に月が見えるなぁ」みたいなことに着想を得て作ったのが「ヨナルレ」でしたけど、クオリティという面でも「ここまでやれば国際的な映画祭でも選んでもらえるんだ」って、その後の作品作りの指標になった作品でしたね。

注9: 小堤一明(1955年~)はアニメーション監督、イラストレーターで、「こづつみPON」の名前で活動。テレビアニメや自主制作作品、CMなどを多彩に手掛け、造形大学など大学での教育指導にもあたっている。

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『コルネリス』2008年

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『ヨナルレ』2011年

──中田さんがアニメーション作家として広く知られたのも、「ヨナルレ」が大きなきっかけになりました。

そうですね。次の「目線」(2014年)ではNHKから依頼があって、完成したそれが「テクネ 映像の教室」という番組で放映されましたから。自分でも好きな作品で、「マルチスクリーン」というテーマをいただいた時に、すれ違う人間関係みたいなものを分割した画面の中に落とし込んでみたんです。私はエッシャー(注10)の絵も大好きなんですけど、あのねじれた空間のおかしな感覚を映像で表現したいと思っていることもこの中に入っていますし、大学卒業後はそれが自分のテーマとして根底にある気もするんですね。

仕事のほうでは、新しい就職先で「ふるさと再生 日本の昔ばなし」(テレビアニメ・2012~2018年)なんかを作っていくうちに作家とディレクターの仕事がくっついたみたいな形になって、自分の絵柄で仕事ができるような機会も増えていったんです。そういう中で、フリーランスとして独立する直前に作った「T.A.O.」(2019年)というミュージックビデオ(=MV)があるんですが、これは私にとって集団制作の良さを実感できる作品になりました。洛天依(ルォ・テンイ)という、中国の初音ミクみたいな人気ボーカロイドの作品で、ただそういう可愛いキャラクターは私の得意分野ではなくて。そこで造形大の同期生だったイラストレーターのフブキさんに、MV用のキャラクターデザインを依頼することにしたんです。それで私は演出と作画監督に集中できましたし、フブキさんのデザインは本当に素敵だったので、レイアウトが上がってくるたびみんなで「可愛い!」と言いながら、社内の子たちと一生懸命作画しました。3D制作の班もがんばってくれて、自分の想像を飛び超えたものをスタッフたちに上げてもらえる。そんな嬉しさを味わったのがこの時ですね。

注10: M・C・エッシャー(1898~1972年)は世界的に有名なオランダの版画家。騙し絵のような独自の作風が後世のクリエイターたちに大きな影響を与えた。無限階段を描いたリトグラフ「上昇と下降」など、代表作も多数。

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『目線』2014年

──では今後のさらなる活躍を願いつつ、最後にこれから教える後輩たちに向けて、ひと言お願いします。

私は造形大に行かなかったら、アニメーションをやっていなかったと思うんですよ。今に続くキャリアの原点で、そこで育ててもらったと思っています。だから後輩たちに伝えたいのは、「作品を作ったら、仮に自分では納得がいかない部分があったとしても、必ず発表することが大事」だということ。そして「⼤学の課題を作品レベルにブラッシュアップするのもおススメ」ということですね。

■プロフィール

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中田彩郁

東京造形大学卒業。

アニメーション制作会社勤務を経て、現在アニメーション作家、イラストレーターとして活動中。

<フィルモグラフィ>

2004年 『舌打ち鳥が鳴いた日

2005年 『おばあちゃんの作業部屋

2007年 『聞耳 第二幕 鏡』(卒業制作)

2008年 『コルネリス』

      第12回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門/審査員会推薦作品

2011年 『ヨナルレ Moment to Moment』

     アヌシー国際アニメーション映画祭、

     広島国際アニメーションフェスティバル入選

2012年 テレビ東京『ふるさと再生 日本の昔ばなし』

        (2018年までに計24話の演出・作画・美術を担当)

2014年 『目線』Eテレテクネ映像の教室

    『境界線』

     第18回文化庁メディア芸術祭・アニメーション部門/審査委員会推薦作品

2016年 Eテレ『少年アシベGO!GO!ゴマちゃん』

    (OP1~4期担当)

2018年 NIKE『JUST DO ITスキージャンプ高梨沙羅編』

2019年 MV 洛天依『T.A.O.』

2020年 絵本『むしとりあそび』福音館書店

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